皆さんこんにちは!
過去2回はインドネシアの高校での日本語教育の様子についてお伝えしてきましたが、最後となる今回は「言葉と文化」についてお話したいと思います。
「過去をやり直せたら」という気持ちをテーマとした川口俊和の戯曲『コーヒーが冷めないうちに』は映画化・小説化もされましたが、日本語を教える授業の中で、ある生徒がインドネシア語版のその小説を読んでいることを知りました。
CP(カウンターパート:高校の日本語教師)の先生にストーリーを話すと、「それは日本のことわざの“覆水盆に返らず”だね」と言われました。インドネシア語にも似たことわざがあって「Nasi sudah menjadi bubur.(ごはんはもうおかゆになっている)」だそうです。インドネシアの方はこれに付け加えて、「ごはんはもうおかゆになってしまったから鶏とか野菜をのせて食べよう」と冗談で言うことがあるぐらい一般的なことわざだそうです。「起きてしまったことはしかたがない」という大らかな考え方であり、インドネシア人の人柄を表している言葉だなと感じました。
インドネシアのことわざの多くは生活に身近な言葉でできているように思います。上のことわざの言葉「nasi」や「bubur」という言葉は屋台などでご飯を買うときによく聞きます。料理の名前にたくさん使われている言葉です。
左からNasi goreng(ナシゴレン) Bubur ayam(ブブルアヤム)
また、私が他にもことわざについて調べていると「Malu bertanya sesat di jalan.(道を聞くのを恥ずかしがると道に迷う)」というのを見つけました。日本にも主に学問について言う「聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥」ということわざがありますが、こちらはもっと現実的です。
インドネシアでは誰でも何でも人に聞きます。道がわからないときや、バスがわからないとき、ものを探しているとき。自分が困ったことがあるとすぐに人に助けを求めます。そして多くの人が助けてくれます。インドネシアに来てわからないことが多すぎて私はよく人に聞いていましたが、インドネシアの方も同じように聞いていたのです。日本では人に何かを尋ねるという光景をインドネシアほど見かけないように感じます。今はスマホを見ればどこに何があるのかわかりますし、自分の力で解決できることがたくさんあります。もちろんインドネシアにもスマホはありますし、調べれば行きたい場所へ行くことができます。そしてバスには路線図が書いてあってどの番号のバスがどこへ行くのか見ればわかります。でも、それをしないのです。バスに乗っている添乗員さんに聞いて教えてもらいます。
インドネシアでは変則的なことが多いです。工事中で突然コンビニが休業していたり、バス停が工事中で通過して次のバス停に行ってしまったり…。そのため人に聞いた方が確実な情報を得ることができるということです。いろいろなことを聞いて快く答えてくださるインドネシアの方々に、外国人として感謝しなければいけない場面がたくさんありました。
人に聞いてそれでも間違えた場合は「Nasi sudah menjadi bubur.(ごはんはもうおかゆになっている)」と考えるのがいいのではないかと思いました。どうせ失敗するのであれば楽しい失敗になるように。
S.Rさん、3回にわたっての現地リポ―トをありがとうございました!


