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2021.07.30

メディア・コミュニケーション学科

教員コラム3 池田 理知子 『8月15日に考える福岡女学院の歴史』

「教員コラム」では、学科教員の研究教育活動やエッセイを紹介しています。

毎年8月になると、「終戦記念日」に向けてアジア・太平洋戦争関連のメディア報道が増えてきます。福岡女学院の歴史もその戦争と無関係ではありません。その一端が伺われるのが、下の写真です。1945年6月19日の福岡大空襲後の焼け跡で礼拝が行われている様子が映されています。福岡女学院資料室https://www1.fukujo.ac.jp/archives/に展示されているので、機会があったら足を運んでみてください。

(写真:福岡女学院資料室所蔵)

 

特別攻撃(特攻)隊の若者二人が出撃の前日に鳥栖の小学校を訪ねてピアノを弾く話が、毛利恒之著『月光の夏』に描かれています。福岡女学院の常任理事であった故皆川範義氏も1993年の『福岡女学院時報』第77号で書いていますが、その小説のモデルとなった二人のうちの一人が福岡女学院の歴史と深く関わっており、後述する「振武寮」に軟禁されていたのです。

「振武寮」とは生還した特攻隊員を収容する施設で、南薬院の福岡女学校(現・福岡女学院中学校・高等学校)の寄宿舎だった建物が使われていました。前述の福岡大空襲では施設の約半分が焼失しています。生きて帰ることを許されなかった特攻隊員たちがそこでどのような扱いを受けたのかを知れば、その事実から目をそらすことはできないはずです。詳細は割愛しますが、興味のある方は拙論をお読みください。
http://repository.fukujo.ac.jp/dspace/handle/11470/905?mode=full

去年は、戦後75年の節目だったにもかかわらずコロナ禍の報道のほうがメディアでは目立っていたようです。オリンピックの喧騒とコロナ禍で、今年も報道量が減ってしまうのではないでしょうか。福岡女学院と戦争とのつながりを知ることで、いま一度平和とは何か、平和な世の中を守るためにはどうしたらよいのかを考えてほしいと思っています。

(池田 理知子)

 

*掲載写真の無断複製・無断転載を禁じます。Webページや出版物等への掲載利用を希望される方は、福岡女学院資料室までお問い合わせください。