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2020.02.04

メディア・コミュニケーション学科

手と足を使って学ぶ「組織コミュニケーション」:活動報告2/3 ~その2 水俣でのフィールドワークで水俣病事件の背景を知る~

今回は、「組織コミュニケーション」の授業で行った水俣市でのフィールドワーク1日目の報告を四年生のSNさんにしてもらいます。中身の濃い活動を通していろいろと考えた様子が伝わってくる内容です。

 
11月23日、24日に「組織コミュニケーション」の授業の一環で水俣にフィールドワークに行きました。
まず、熊本学園大学水俣学現地研究センターにて山下善寛さんから貴重な話をお聞きしました。山下さんは中学を卒業してから44年間新日本窒素(以下チッソ)水俣工場に勤務し、会社を退職するまで第一労働組合に所属し、水俣病事件、安定賃金反対闘争、家庭待機反対闘争、水俣工場の縮小・撤退反対闘争などを経験した方です。現在は水俣病患者支援や、「水俣の暮らしを守るみんなの会」での市民運動、水俣の環境モデル都市づくり等に関わる一方で、自らも水俣病の認定を求めて闘っていらっしゃいます。

学園大学水俣学現地研究センター5.jpg


山下さんは私たちに、チッソの第一労働組合で行ってきたことを主にお話してくださいました。会社からの数々の嫌がらせにも負けずに、労働環境の改善要求や水俣病患者の支援を続けてきたのが第一労働組合です。
また、お邪魔させていただいた水俣学現地研究センターは、水俣病の疑いのある方の診察を行っており、その際に使う検査道具(下記の写真)も揃っていました。実際に体験させていただいたのですが、私たちには感じる指先のチクリとした痛みや振動が、水俣病の患者さんにはわからないということをこの時はじめて知りました。

検査キット.jpeg

次に、山下さんに水俣のさまざまな場所を案内していただきました。戦前の旧工場跡や、丸島にある汚染水を排出していた門、現在でも汚染物質が埋められたままになっている場所などに行きました。案内していただいて、水俣におけるチッソの存在の大きさを感じました。チッソが市街地の土地の4分の1を占めていたと言葉で聞くより、実際に自分の足で歩き目で確かめることで、水俣病事件の重大さを身にしみて感じました。

ぜんかんさん.jpeg

その後、水俣市立水俣病資料館に行きました。ここでは、胎児性水俣病患者である永本賢二さんから貴重なお話を聞くことが出来ました。また、司会をされていた女性もご自身の経験を語ってくださいました。御二方とも、お父さんがチッソで働いていたそうです。当時どのような気持ちで働いていたのだろうかと考えると胸が痛くなりました。とくに、自分の息子が勤め先のせいで水俣病になったけれども、水俣にはチッソ以外に働く場所があまりなく、仕事をやめてしまうと家族を養うことができなくなるという恐怖が、永本さんのお父さんにはあったのだろうと思いました。しかし、お父さんは会社と闘いながら、チッソで働き、家族を養ったということでした。お話を聞いた後は、副館長に資料館のなかを案内していただきました。

資料館.jpeg

今回のフィールドワークでは、授業のなかで話を聞いてわかったつもりでいたことが、より身近なものに感じられ、これから先のことが考えられるようになりました。「水俣病」は誰もが義務教育中に聞いたことがあるワードだと思います。しかしその実態は大学生になるまで私もまったく知りませんでした。水俣には日本の経済発展のために力を注いだ人たちがたくさんいたと思います。しかし、その陰で水俣病が起こったのです。だからこそ、水俣病を忘れてはいけないし、この事実を多くの人に知ってほしいと私は考えています。

次回の記事は以下よりご覧いただけます
活動報告その3 水俣でのフィールドワークで公害・環境問題を考える