心理学科Todayでは、教員の研究の紹介を行っています。今回は福岡女学院大学全学生の必修科目であり、心理学科学生が履修する「聖書概説(1年次)」、「キリスト教の歴史と文化(2年次)」、「キリスト教人間学(3年次)」の授業を担当する大学宗教主事でもある中川先生の研究生活の一端の自己紹介です。
私は関西学院大学神学部の学生時代、空き時間がもったいないので、他学部の例えば「政治学」等の講義を聴講させてもらっていた。
その一つに、文学部の教授の独書購読の時間があった。その時間に、ある時からドイツ中世の神秘主義神学者であって、また秀でた説教者でもあったマイスター・エックハルトの説教がテキストに用いられた。それ以来、今日までエックハルトの説教を矯めつ眇めつするうちに、その説教の聴衆が少しずつ見えてきた。説教には必ず聴き手が存在するという当たり前のことに、長い間かかってやっと気づいたのである。
聴き手とは、例えば1200年代のドイツの大都市ケルンで反聖反俗の生活を送っていたベギンと呼ばれる疑似修道女たちであった。それ以来、私は説教の語り手であるエックハルトと聴き手であるベギンたちの関係の在り方に常に心を致しつつ研究を進めてきた。
私の研究の対象は、西欧修道制の父といわれるベネディクトゥスであったり、「韓国民主化闘争時代の牧師の女性宣教について」であったり、ヴィクトール・フランクルのロゴセラピーであったり、あるいはジャック・デリダの脱構築の哲学であったりした。そのような時空を超えた思想等との比較研究によって、私のエックハルト研究、あるいはベギン研究が深められることを望んできた。私の講義等に、これらの研究の成果は、もしそのようなものがあるならだが、反映されているに違いない。
私は関西学院大学神学部の学生時代、空き時間がもったいないので、他学部の例えば「政治学」等の講義を聴講させてもらっていた。
その一つに、文学部の教授の独書購読の時間があった。その時間に、ある時からドイツ中世の神秘主義神学者であって、また秀でた説教者でもあったマイスター・エックハルトの説教がテキストに用いられた。それ以来、今日までエックハルトの説教を矯めつ眇めつするうちに、その説教の聴衆が少しずつ見えてきた。説教には必ず聴き手が存在するという当たり前のことに、長い間かかってやっと気づいたのである。
聴き手とは、例えば1200年代のドイツの大都市ケルンで反聖反俗の生活を送っていたベギンと呼ばれる疑似修道女たちであった。それ以来、私は説教の語り手であるエックハルトと聴き手であるベギンたちの関係の在り方に常に心を致しつつ研究を進めてきた。
私の研究の対象は、西欧修道制の父といわれるベネディクトゥスであったり、「韓国民主化闘争時代の牧師の女性宣教について」であったり、ヴィクトール・フランクルのロゴセラピーであったり、あるいはジャック・デリダの脱構築の哲学であったりした。そのような時空を超えた思想等との比較研究によって、私のエックハルト研究、あるいはベギン研究が深められることを望んできた。私の講義等に、これらの研究の成果は、もしそのようなものがあるならだが、反映されているに違いない。
(担当:中川憲次)



