■ 小説の始まりは面白い
皆さんは小説を読まれると思いますが、その小説がどのような言葉で始まっているか考えたことがありますか。好きな小説でも意外に覚えていないのではないでしょうか。でも、始まりはその小説の世界を映し出す「顔」と考えてよいでしょう。皆さんが初めて人に会ったとき、「第一印象」が記憶に刻まれます。同様に、小説の始まりは大切なのです。
■ 自己紹介型
初めて会った人には自己紹介をしますね。自己紹介型とはこういう始まりです。
①『吾輩は猫である』夏目漱石
吾輩は猫である。名前はまだ無い。どこで生まれたかとんと見当がつかぬ。...
解説:小説のタイトルが第1文になっています。自己紹介の代表作品です。ただ、猫のわりには、名前はまだ無い、などと大胆な態度をとってます。「まだ無い」とは、そのうち誰かが名前を付けてくれるということでしょうか。
②『Never Let Me Go』(わたしを離さないで)Kazuo Ishiguro(ノーベル文学賞受賞)
My name is Kathy H. I'm thirty-one years old, and I've been a carer now for over eleven years. ...
解説:Ishiguro は長崎で生まれて、親の仕事の関係で6歳の時にイギリスに渡ります。日本に帰ることなく彼の地で育ち、イギリスを代表する作家となりました。これは驚くべき偉業です。この小説は映画化されて世界的に有名になりました。ここでは、自分の名前がキャシーであること、その他に年齢と職業が紹介されています。
■ 登場人物紹介型
自己紹介型の変形として登場人物を紹介する方法もあります。
③『心』夏目漱石
私はその人を常に先生と呼んでいた。だからここでもただ先生と書くだけで本名は打ち明けない。...
解説:なるほど、そうですか。最初から「秘密」を暗示しています。
④『ある男』平野啓一郎
この物語の主人公は、私がここしばらく、親しみを込めて「城戸さん」と呼んできた人物である。...
解説:現在活躍中の作家、平野啓一郎さんです。小説のタイトルからして意味深です。そして、「城戸さん」という人物の紹介から物語が始まります。
このように漱石も平野啓一郎も最初の一文で読者に「誰なんだろう?」という関心を持たせて読者を物語の世界に引き込みます。これがすごい「技」なのです。
■ 問題提起型
初めに物語のテーマにつながる「問題」を披露するタイプです。
⑤『Anna Karenina』(アンナ・カレーニナ)Leo Tolstoy(ドストエフスキーと並ぶロシアの巨匠)
All happy families are alike; each unhappy family is unhappy in its own way.
解説:「幸福な家庭は全て似かよっている;不幸な家庭はどこもその趣が異なっている」つまり、不幸せな家庭はそれぞれの理由で不幸せだ、という意味です。アンナ・カレーニナの悲劇的な一生を一行の文でまとめた超絶技法です。トルストイも問題を抱えていたのでしょうか。彼の人生の最後を考えると...
⑥『Lady Chatterley's Lover』(チャタレイ夫人の恋人)D.H.Lawrence
Ours is essentially a tragic age, so we refuse to take it tragically. The cataclysm has happened, we are among the ruins, we start to build up new little habitats, to have new little hopes. It is rather hard work ...
解説:「現代は本質的に悲劇の時代である。だからこそわれわれは、この時代を悲劇的なものとして受け入れようとしないのである。大災害が起こり、われわれは廃墟の真っただなかにあって、新しいささやかな棲息地を作り、新しいささやかな希望をいだこうとしている。それはかなり困難な仕事である」(伊藤整訳)戦争で半身不随になってしまった夫、その妻の情事が物語になっています。この物語をまとめるにふさわしい出だしです。
⑦『A Room with a View』(眺めのいい部屋)E.M.Forster(イギリスを代表する作家)
'The Signora had no business to do it,' said Miss Bartlett, 'no business at all. She promised us south rooms with a view, close together, instead of which here are north rooms, here are north rooms, looking into a courtyard, and a long way apart. Oh, Lucy!' ...
解説:イタリア旅行に来た2人の女性の会話で物語が始まります。南向きの眺めのいい部屋を予約したはずなのに、北側の中庭しか見えない部屋に通されて不平を言っているシーンです。ここから意外な人と出会い、物語は意外な方向に展開を始めます。