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2022.09.14

言語芸術学科

【授業紹介】「国内フィールドワーク(実践)」阪急電車編

「国内フィールドワーク(実践)」の3年ぶりの実地研修が行われました。(前回の記事はコチラ

今回のフィールドワークのテーマは「古代と現代をつなぐ言語芸術の旅」。4日目と5日目は、兵庫県の北摂地域を巡ります。

阪急電車に乗って訪れたのは「小林一三記念館」。阪急文化財団学芸員の正木喜勝さんに、小林一三の功績をガイドしていただきました。受講生の「小林一三記念館訪問記」をご紹介します。

小林一三記念館を訪問して

言語芸術学科 2年生 W・Hさん

 小林一三記念館までの道のりは、阪急電車を使った。そこから見る景色は住宅街で、にぎやかな都市部とは違って穏やかな雰囲気だった。 事前学習で小林一三が阪急電鉄や宝塚を作ったことは知っていた。だが、私には交通と観光業のつながりがわからず、様々な異業種で成功した才あふれる人物だという印象を抱いていた。 しかし、記念館で資料を見て解説を聞き、不動産業や観光業は全て鉄道事業につながっているということが分かった。そのほかにも映画など様々な事業に携わっており、小林一三の娯楽への関心の高さがよく理解できた。それとともに私が電車の中から見た池田の景色は小林一三の不動産業の結果であり、彼の功績の痕跡は現代にもしっかりと残っているのだと思った。

 大阪に着いてから見慣れない店をよく見かけた。記念館で知ったがその中の施設の一部は小林一三が設立に携わっていたそうだ。住まい、商業施設、そして娯楽。生活に必要なものほぼすべての事業にかかわっており、それらは鉄道事業にもつながっている。すべての事業が絡み合い、一つの街を形成しているように見えた。 私が一番印象に残っている話は、大劇場を作ろうとした際に、大勢の人から冷ややかな目で見られていた話である。確かに何千という人数が入ると考えるのは電車の収容能力的にも難しく、当時の人がこの計画を笑うのもおかしな話ではない。しかし、一三はそんな批判を気にせず大劇場の計画を実行に移した。他者から何を言われても突き進んだ行動力に驚き、尊敬の念を抱いた。 映画、演劇だけでなく、一三はテレビ放送にも興味を示していたらしい。

 もし、現代の日本に彼がいたのならばいったいどうなっていたのだろうか。そのようなことを考えてしまうくらい、小林一三の功績と影響力は素晴らしいものだと思った。

言語芸術学科 2年生 F・Aさん

 小林一三記念館を訪れ、正木喜勝さんにガイドしていただいた。数々の展示物を見ていくと小林一三は自分が想像していた以上の功績を残していることがわかった。

 記念館に入ると、小林一三の身につけていた帽子や杖、本人の写真を中心として円状に功績が展示されていた。その展示場所は阪急電鉄の内装をイメージした作りになっており、実際に自分が鉄道に乗りながら、その歴史を辿れるようになっていた。彼は宝塚だけでなく阪急電鉄や百貨店、東宝などさまざまな事業を起こしていた。その中でも宝塚が鉄道開通で有馬の方まで線路が伸びていたら宝塚歌劇ではなく有馬歌劇になっていたかも知れないという話や、初期の宝塚歌劇はプールの水を抜いてそこを客席にして演じていた話など、鉄道と宝塚に関係性があったことに驚いた。鉄道を開通し事業が発展すると、百貨店や劇場などを駅の近くに設立した。今の私達の日常生活では当たり前の光景を創り出した張本人だったのだ。亡くなる前にもテレビの仕事に関わろうとしていたこの行動力は計り知れないものだと感じた。この行動力を私は見習いたいと思った。

言語芸術学科 2年生 A・Hさん

 小林一三は宝塚歌劇団を作った人ということは知っていた。 しかし今回の小林一三記念館で正木さんにお話をうかがってからそれだけではないことを知った。もっとたくさんの偉業を成したすごい人だった。

 プライベートでは、小説家であり劇作家。俳句や和歌に親しんでおり、多くの人と茶の湯を楽しむために自宅に茶室を用意した。小林一三は文化人であったことが資料によってよく分かる。ビジネスでは、鉄道を都市と観光地を結ぶように作った。それだけでは会社は成り立たないため、鉄道の周りに住宅地開発を進め住宅ローンの仕組みを作り家を売ったこと。駅に百貨店を作って駅から直接アクセスできるようにしたこと。観光地をもっと増やそうと宝塚歌劇団を作ったり、東宝を作ったり...と様々なことに挑戦しそれぞれが成功していったことが小林一三記念館の資料でよく分かった。 時間に沿って写真や資料が沢山並べられて彼の動きを捉えられた。当時の人々にとって画期的なアイデアで前人未踏の新しいことを次々と成功させたことが正木さんの丁寧な説明でより深く理解できたと思う。 まさに彼は現在の大阪だけでなく、現在の日本の土台を作った様なことではないだろうか。特に駅の上に百貨店があるのは大阪だけでなく他県の都市の駅にも広がっており、とても便利で人気がある。一軒家を買う時にローンを組むことは今では常識になっている。大阪を発展させるだけでなく、彼は人々の生活まで潤している。彼が築いてきたものは今の日本で何ひとつとして欠かせないものである。

言語芸術学科 2年生 T・Rさん

 私たちは小林一三記念館を訪れた。ここは阪急電鉄や阪急百貨店、宝塚歌劇団や映画会社の東宝を設立した小林一三について学ぶことができる施設だ。記念館ということでなんとなく堅いイメージを持っていたが、茶室と庭園があるため緑が多く、小林の旧邸が展示施設の一つとして使用されていることもあり、施設全体に心が落ち着くような温かい雰囲気がある。現代ではなかなか見ることのできない和と洋が掛け合わされた館はとても魅力的で、そこで暮らしていた小林や家族の人生を肌で感じることができた。

 様々なことを成し遂げた小林だが、彼は類まれなる独創的なアイデアの持ち主だった。駅付近の住宅街や、出勤・通学時の電車利用、駅に隣接する百貨店は今では当たり前となっていることだが、これは小林が電車の利用客を増やすために考え出した方法で、それが見事に成功し現在まで廃れることなく続くライフスタイルとなっている。東宝や宝塚の設立も、映画やお芝居を見ることが電車に乗る理由になるようにしようと考えた結果である。 小林の未来を見据えて動く力は素晴らしく、どこか強い生命力すらも感じさせる。小林一三記念館は、これからの未来に希望を抱かせてくれるような、背中を押してくれるような場所だった。

言語芸術学科 4年生 M・Iさん

 小林一三といえば、言語芸術学科の私たちとは切っても切れない、宝塚歌劇団をはじめとした様々なエンターテインメントの生みの親でもある。館内に入ると丸い建物のちょうど中央に小林一三を模したハットと杖が。宝塚音楽学校を背景にした小林一三からは優しげで、それでいてその瞳からは強い芯を感じた。中心の小林一三から周りの壁に向かって広がっているものは小林一三が生み出したものである。阪急鉄道や駅ビル、宝塚歌劇団や東宝まで。その手はテレビにまで及ぼうとしていたという。ひとつひとつの創設のスケールに、初めて聞いた時は思わず耳を疑った。どれかひとつだけでも偉大なことなのに満足してふんぞり返ることなく、どんどんと新しい事業を作っていく。その姿勢からは今を生きる私たちも学べるものがあった。

 さらに、彼の創設したものには繋がりがある。屋内プールを再利用して上演されていたお芝居も、阪急電鉄をぐっと宝塚までのばし、ここで大劇場を作る。見込みもなく周りに馬鹿にされながらの試みは極めて大胆であったが、小林一三のそんな思い切りの良さが無ければ、今はまた違った形になっていたのかもしれない。また、小林一三の取り組みの根底には、もっとより多くの人を楽しませるという思いがあり、彼が生み出したものに触れ、利用し、楽しむ度に彼に親しみを覚えるようになった。彼の没年から今年で65年。しかし彼の生み出したものはまだ沢山の人を楽しませ続けている。小林一三記念館は私にとって、明日から何かひとつでもその道の極みになるために踏み出せれば、と背中を押してくれるような記念館であった。

正木さん、小林一三記念館の関係者の皆さん、本当にありがとうございました。

5日目は宝塚へ。「手塚治虫記念館」「宝塚文化創造館(すみれミュージアム)」を訪れました。

そしてお楽しみの宝塚歌劇へ。宝塚宙組『HiGH&LOW-THE PREQUEL-』『Capricciosa(カプリチョーザ)!! を鑑賞しました。タカラジェンヌたちの煌びやかな舞台はまさにエンタテイメント。本場で見る宝塚歌劇に受講生の多くが魅了されました。