そして「端島(通称:軍艦島)」を訪れました。1810年頃に端島で石炭が発見され、1890年に三菱社が島全体と鉱区の権利を買い取り、本格的に石炭の発掘が開始された端島炭鉱は、とても良質な石炭が採掘できたこともあり隣接する高島炭鉱とともに日本の近代化を支えてきた場所でした。石炭出炭量の増加に比例するように島は急成長を遂げ、1960年には5,267人が住んでいたとされており、当時の人口密度は東京人口密度の9倍以上とも言われ、世界一の人口密度を誇ったとされています。
しかしながら、1974年1月15日に閉山、この年の4月20日に全ての住民が島から離れ、軍艦島は無人島となって以後、様々なメディアで登場するなかで ”廃墟の島”のような表現がされていますが、ガイドの解説のなかで強調されていたのは「当時の日本の最先端の技術や名残が島全体が繁栄当時のまま残っている」ことこそがこの島の魅力であり、その姿を見て欲しいという点であり、私たちがメディア等で抱いていた軍艦島のイメージとは異なる点が多々ありました。
いつ崩落してもおかしくない状況にある軍艦島ですが、台風接近のため上陸することはできませんでしたがこの目でその実相を見ることができた貴重な機会となりました。
午後からは長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産の構成資産の1つ「大浦天主堂」を訪れました。大浦天主堂は日本に現存するキリスト教建築物としては最古の教会堂で、約250年の長きにわたり、長崎地方に潜伏し、信仰を守り続けてきたキリシタンの存在が明らかになった世界宗教史上の奇跡とも称された「信徒発見」の舞台となったこの場所で、これまで事前授業で学び、現地研修で自身の目で見て感じてきた長崎のキリスト教の歴史の足跡を改めて感じました。
☆フィールドワーク現代文化(日本)に参加した学生の感想を一部ご紹介☆
・このフィールドワークを通して、普段はほとんど関わることのないキリスト教や原爆について丸三日間勉強してきました。小学生の時に修学旅行で長崎を訪れたことがありますが、その時とは違った視点で見ることができました。三日間で多くの教会を訪れ、現地の方から様々な話を聞いてきました。その中でも特に印象に残っているのが、原爆資料館と軍艦島クルーズです。小学生の時とは違って、今回は原爆資料館を隅々までじっくり見ました。私はその中にあった被爆した方たちが描いた絵を見て、涙が出そうになりました。当時3歳4歳の小さな子どもの記憶に鮮明に焼き付いているということ、まだ赤ちゃんと言ってもよい年齢で一生分の恐怖を味わったということに衝撃を受けました。一瞬にして今までの日常生活を奪うだけではなく、尊い命をも奪う原爆の恐ろしさを絵から感じ取ることができました。日本は被爆国であること、私たちが受け継いでいくべき歴史のひとつであること、何よりも戦争のない世界が一番であることを改めて実感しました。
・長崎には異国の文化や聖地が多くあり、忘れてはいけない原爆被害など物凄く魅力的な場所でした。これらと観光の結びつきは密接ではありますが、そこに関わるメリットとデメリットを理解するべきだと感じました。ただただ「すごい!」や「感動した!」ではなく、そこに秘められた思いや、経緯を汲み取る必要があると思いました。世界遺産登録と観光のあり方、地域の人たちの思いを知る物凄く良い経験になりました。
・この研修を通して、事前学習で学んだことよりももっと深くキリスト教や長崎の原爆からの復興、観光事業など様々な事を学びました。また現地の人のお話を伺う事で、観光には暗い面もあると知りました。特に軍艦島でのお話では、自分達が伝えたいことをいくらアピールしてもメディアはそれ以外の暗い面を報道するとおっしゃっており、メディアの報道を全てを鵜呑みにしてはいけないと改めて思いました。これから、観光について学ぶ上でダークツーリズムへの配慮や観光倫理などを忘れないようにしたいです。
※掲載された写真は撮影時のみマスクを外しています