短期大学部にはたくさんの留学プログラムがあります。
今回は、その中でも支援金をもらって、自分で計画して語学学校に行く、「短期海外語学研修支援金制度」の紹介です。このプログラムは、英語を学ぶだけでなく+アルファの研究が必要です。第一弾は、シアトルに行き、日系移民の歴史を学んだ、M.T.さんの報告、第二弾は、カリフォルニアに行き、「ダンスレッスン」を受けてきたA.H.さんの報告を紹介します。
そして、これが私にとって一番印象深かった写真です。ブロンドで青い目をした女の子と日本人の女の子が並んでリンゴを食べている写真です。しかしこの絵、一つだけこの二人に決定的な差があります。みなさん気づきますか。日本人だけ収容所の檻の中にいるということです。パールハーバーにより第二次世界大戦が始まり、アメリカに住んでいた日本人は敵国出身であるため日本からのスパイと疑われ、収容所に入れられます。シアトルに住んでいた日系人はおもにミニドカの収容所に入れられ、たくさんの志願した男性はアメリカ軍に入りともに日本人を相手に戦いました。
これは私の読んだ本「あの日パナマホテルで」という小説の題名でもあるパナマホテルです。パナマホテルには収容所に行く前の日系移民がたくさんの荷物を置いていき、そのままほとんど取りに来ていないためパナマホテルのカフェで実際に見ることができます。また銭湯も残っており、なぜかはわかりませんが女湯より男湯の方が大きい作りになっているそうです。
今回は、その中でも支援金をもらって、自分で計画して語学学校に行く、「短期海外語学研修支援金制度」の紹介です。このプログラムは、英語を学ぶだけでなく+アルファの研究が必要です。第一弾は、シアトルに行き、日系移民の歴史を学んだ、M.T.さんの報告、第二弾は、カリフォルニアに行き、「ダンスレッスン」を受けてきたA.H.さんの報告を紹介します。
Introduction
私は2月25日から3月27日までの31日間短期海外語学研修支援金制度を利用しシアトルに留学し、日系移民の歴史や日系移民によって残された文化、また日本からアメリカに進出しているものについて調べてきました。なぜシアトルの日系移民について調べたかというと、祖母の親戚がシアトルにいたということを聞き興味を持ち、それについてぜひ実際に行ってこの目でシアトルに今でも残っている文化について調べたいと思ったからです。私はこの留学プログラムを利用したいと思い、夏休みぐらいから、エッセイのために、本を読んだり調べたりし、準備をしていました。International District
International Districtは通称China Townと呼ばれており、私の行った学校の生徒にはとても親しまれていました。通学で使っていたバスでも、毎朝通っており、LINKという電車でもDowntownからすぐという便利の良いところにあります。China Townにはたくさんのレストラン、ショップ、スーパーなどが軒を連ねています。ここは本当にアメリカなのかというぐらいアジアンテイストで、おもに中国語で溢れています。そしてとても興味深かったことが、ほぼすべての標識が英語、中国語、そして日本語と3ヶ国語表示であったということです。そしてそのInternational Districtの一角にはJapan Townも存在しており、第二次世界大戦前はJapan Townはとても栄えており一番大きかったが、今は一角だけになっています。しかし、私の見たところではChina Town自体が衰退して行っている印象でした。Wing Luke Museum
シアトルでは毎月月一週目の木曜日はミュージアムの入館が無料なのでWing Luke Museumに行きました。Wing Luke Museumは中国系移民の人がアジア人の誇りを保てる場所を作りたいという強い思いによって作られました。そしておもにアジア系移民の歴史やブルースリーについての展示が行われています。そして、これが私にとって一番印象深かった写真です。ブロンドで青い目をした女の子と日本人の女の子が並んでリンゴを食べている写真です。しかしこの絵、一つだけこの二人に決定的な差があります。みなさん気づきますか。日本人だけ収容所の檻の中にいるということです。パールハーバーにより第二次世界大戦が始まり、アメリカに住んでいた日本人は敵国出身であるため日本からのスパイと疑われ、収容所に入れられます。シアトルに住んでいた日系人はおもにミニドカの収容所に入れられ、たくさんの志願した男性はアメリカ軍に入りともに日本人を相手に戦いました。
これは私の読んだ本「あの日パナマホテルで」という小説の題名でもあるパナマホテルです。パナマホテルには収容所に行く前の日系移民がたくさんの荷物を置いていき、そのままほとんど取りに来ていないためパナマホテルのカフェで実際に見ることができます。また銭湯も残っており、なぜかはわかりませんが女湯より男湯の方が大きい作りになっているそうです。