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    人文学部 言語芸術学科

    人文学部 言語芸術学科Today 一覧

    2015年
    01月25日

    「百読百鑑」レビュー 安部公房『砂の女』 by みんみん

    『砂の女』は、安部公房の代表作であり、20数カ国に翻訳され、国内だけでなく世界中で読まれている。
     この話は、出だしから男の失踪で始まる。教師である男が、ある日、恋人に「しばらく一人旅に出る」という手紙を残して、昆虫採集のために砂丘に向かう。そこで出会った部落の人に泊まる家を紹介してもらうが、その家は、砂丘の穴の中にあり、梯子を使わなければ出入りできない。また、水も十分にないし、毎晩砂かきをしなければならない、不便な家である。そんな家に泊まった男は、次の朝、梯子がはずされていることに気づく。そこで、その家の人に尋ねたが、家の人は何も言わない。男はなんとか脱出しようと試みる。
     私には最初「どうしてこんな家にみんなが住んでいるのか」という疑問があった。また、読み進めていくと、「なぜ、部落の人たちは男を閉じ込めたのか」「どうやって男は脱出するのか」というさまざまな疑問がわいてきた。読んでいくうちに、この理由がわかっていくのだが、その理由で男がこの部落から出ることを許されずにいるのは、とても理不尽なことのように感じた。
     この小説は、私にとって感情移入しやすいタイプのものである。例えば、男が脱出している場面では、脱出しているときの男の必死に逃げようとする気持ちが具体的に描かれているので、読者も彼の気持ちになって部落の人に見つからないか、ハラハラさせられる。最後の最後までどうなるかわからない、それがこの小説の魅力だと思う。

    2015年
    01月24日

    「百読百鑑」レビュー 安部公房『砂の女』 by みりん

    一般の読者に余り馴染みのなかった前衛作家、安部公房が一躍有名になったきっかけの作品である。20カ国語に翻訳された名作。

    一人の男が休暇を利用し、昆虫採集の為に砂丘へやって来た。新種の昆虫を発見する為である。しかし、3日間の休暇の初日は成果は得られなかった。帰りのバスが終わってしまったことを知り、砂穴の中にある一軒家に泊めてもらうことになった。家には、三十前後の小柄な女が一人いた。男が風呂に入りたいと言えば、水がないからと断られる。食事は砂が入らないように傘をさして食べなければならない。男は今夜だけだからと我慢した。しかし、目を覚ますと裸の女が寝ている。そして、砂穴に入る為に使った縄梯子が取り外されていた。砂穴に閉じ込められた男があらゆる方法で脱出を試みる話である。

    この作品を読んで面白いと思ったところの一つは、砂穴にある家だ。今にも倒れてしまいそうで、屋根から砂が降ってくる。水は、部落の人が配給するのみで、砂掻きをするのが仕事の生活なんてまず、普通では考えられないし、砂穴に家を建てようなんて考える人なんてそうそう居ない。

    もう一つは、この家に住む女だ。男が初めて来た日の翌朝、きめ細かい砂の皮膜に覆われた裸の女が寝ているという場面もとても頭に残っているのだが、それより驚いたのは、女がこの砂穴から出ようとしないことである。出られないから諦めているのではなく、この砂穴から出たいという意志がないのだ。普通このような生活をしろと言われたら誰でも逃げ出したくなるだろう。私だってこんな生活はしたくない。しかし、この女は逃げ出そうとしないのだ。なぜこの女は逃げ出そうとしないのか。なぜこの女は何もかも制限されている砂穴の生活を嫌だと感じないのかを考えさせられた。

    最後は男が考えた脱出作戦である。一見阿保らしい作戦だが、とてもリアルで面白かった。
    この作品の全体の内容としては、砂穴に閉じ込められた男が脱出しようとするという簡単な話だが、男の行動や心情がリアルで面白く、また感情移入しやすく、読んでいる間終始口が渇いた感じになった。最後、男は脱出できたのか。また、女はどうなったのかを是非読んで確かめてほしい。

    2015年
    01月24日

    「百読百鑑」レビュー 北杜夫『夜と霧の隅で』 by あゆみ

    【百読百鑑レビュー】

    北杜夫『夜と霧の隅で』 by あゆみ

     人は極限状況にある時、何を思うのだろう。特に死と直面した時、人は何を考えどう行動するのだろうか。人にはいつか死が訪れるものだ。しかし、その「死」が人為的であり作為的である場合、それを止めるべきだという考えはあってしかるべきだ。
     『夜と霧の隅で』は、第二次世界大戦末期にナチス・ドイツで行われたT4作戦(優生学思想による安楽死政策)を元にした小説である。作戦に抵抗し、患者を救おうとあらゆる治療をする精神科医たちの苦悩や葛藤が描かれている。
    作者は生前、精神科医でもあった。そのため、精神的な病の患者に対する接し方や考え方について、この作品には精神科医ならではのリアリティある描写がある。同時に、精神的な病に対して医師として向き合う難しさも描かれている。
    ナチス統治下という特異な状況の下では、人々が持つ意識や考え方の指針は少なからず固定されてしまうものだと思う。なぜならそれは、急に行われるものではなく、人々が違和感を抱かないよう徐々に進められているからだ。その中で一人の医師が、作戦に抵抗できるものとして、如何に最善の医療を行うかという苦悩は、この作品の中での大きなテーマであると感じる。
    自分の精神は自分のものだ。追いつめられている状態で自分が何を思い何を考えるのか、普段の生活から想像することは難しい。また、その追いつめられた状態で最善の選択をしていくことは更に難しいと思う。まして、それが生命についてであれば尚更難しいものだと感じる。私自身はまだ自分自身の生命について考えるだけで精一杯であると感じてしまった。

    2015年
    01月24日

    「百読百鑑」レビュー 宮沢賢治『銀河鉄道の夜』 byうなぎ

    父親が帰って来ず、母親は病気のために、ジョバンニというこの物語の主人公は働いています。そのため親友のカムパネルラとも話さなくなりました。父親のことでジョバンニがいじめられている時、カムパネルラは悲しそうな顔をしています。そして、ふと気がつくとジョバンニはカムパネルラと共に銀河鉄道に乗り込んでいました。二人は銀河を巡る旅をし、「ほんとうの幸」について話します。そして、旅が終わってジョバンニが現実に戻ってくると、カムパネルラは死んでいました。
     
    初め読んでいるうちは、この汽車はどこに向かっているのだろうと思っていましたが、ふたりの姉弟の登場で彼らはすでに亡くなっていること、そしてこの汽車の行く末が黄泉だということがわかります。
     
    「カムパネルラ、また僕たち二人きりになったねえ、どこまでもどこまでも一緒に行こう。僕はもうあのさそりのようにほんとうにみんなのためならば僕のからだなんか百ぺん灼いてもかまわない。」
    「うん。僕だってそうだ。」
    「けれどもほんとうのさいわいは一体何だろう。」
    「僕わからない。」
    「僕たちしっかりやろうねえ。」
     
    この会話はふたりの姉弟と別れた後に続くジョバンニとカムパネルラのものです。この会話から彼らの思いと、危うさを感じました。自分をいくら犠牲にしても構わないというふうに捉えることが出来たからです。もっと自分を大切にしてもいいのでは、と思いました。死の前日まで農民から肥料の相談を受けていたというほど、人のために働いた作者の生涯を想起させるような箇所です。
     
    ジョバンニの切符はどこまでも行くことが出来ることに対し、カムパネルラの切符は途中までしか行くことが出来ません。そらの孔といわれる場所でのカムパネルラの言葉も、彼の死を予感させます。
     
    上記の会話後に「カムパネルラ、僕たち一緒に行こうねえ。」とジョバンニがそう言って、振り返ったそこにカムパネルラはいませんでした。とても悲しくて、空虚が押し寄せてくる。そんな印象深い場面でした。
     
    『銀河鉄道の夜』についてですが、作品の文体になかなか慣れず内容はよく分からない、というのが正直な感想です。しかし、それがまたこの作品をより深くさせていく魅力だと感じました。内容はよくわからないにしろ、美しい風景描写や銀河の話を読んでいるだけでもうっとりします。この作品を通して美しい銀河をぐるっと想起させてみてはどうでしょうか。

    2015年
    01月18日

    言語芸術学科と映画

     現在、フィリピン映画の撮影支援を行っています。1昨年と同様に学内の施設で撮影が行われ、学生たちは美術を担当します。先日、撮影スタッフが到着されたので、早速打ち合わせをしました。同時に今回の映画に出演する日本人の役者さんのオーディションを学内でやりました。 見学が許可されたので、その様子をすぐそばで見ました。見学した学生は「出演者決定」 の瞬間に立ち会い、感動していました。
     
     言語芸術学科は、言語芸術作品(文学や映画)を【教材】として使いながら、 言語(日本語・英語)能力と思考力を徹底的に鍛え、何事にも臨機応変に対応できる逞しい人材を育てることを【教育目標】においているリベラルアーツ系の学 科です。【教材】と【教育目標】をリンクさせる【教育手段】として、フィールドワークなどの実践科目を豊富に備えています。  
     
     ですから、本学科は、映画を【教材】として頻繁に使います。例えば、「映画と社会」「映画研究E」「映画研究J」「言語芸術基礎Ⅰ(上田担当分)」などの授業で映画を【主教材】としますし、「ポップカルチャーJ」「古典文化J」「ワークショップC」「ワークショップD」「フィールドワークC」「フィールドワークD」などでは【副教材】として使用します。映画は、通称「言語芸術シネマ」という映画館さながらの環境で上映されます。また、授業外では、「福岡インディペンダント映画祭2014」のお手伝いや、映画『Sala』(アジアフォーカス・福岡国際映画祭でのプレミア上映作品)のロケ支援なども行いました(流れで、エキストラ出演も)。
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     こういった環境の中で学生は、映画の文化背景・言語・構成などについて、学びます。また、学ぶ環境は、教室だけでなく映画館やロケ現場の場合もあります。
     しかしながら、言語芸術学科は映画制作を専門に勉強する学科ではありません。本学科は、映画を、文学作品や演劇と同様、言語芸術の1分野として捉え、語学力・思考力・実践力を身につけるための【教材】としてカリキュラムの中で機能させています。ですから、今回の映画撮影支援も、実際の撮影現場を経験することで思考力(効率的な段取り、プラン力など)や実践力(社会人としてのスキル:あいさつ、言葉遣い、マナー等)を身につけるための【フィールドワーク】としてとらえ、学生に参加を促しています。
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      ついでながら、教員も頑張っています。2013年度に、『おしゃべりシネマカフェ』(by 言語芸術学科教員:上田・上村・道行、国際キャリア学科教員:中島)が出版されました。

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