福岡女学院の歴史

女学院の歴史

創立者 ジュニー・ギール

1885(明治18)年頃の福岡因幡町(現在の天神2丁目)は、家屋もまだ少なく、周りも広々としたところでした。その一角にあった古びた一軒の家屋が、福岡にキリストの福音を伝え、女子教育を芽生えさせる出発点となりました。

この年の5月に来福した米国メソジスト監督教会派遣のジェニー・ギール女史は、教会日曜学校長の活動を始め、その後、英和女学校(福岡女学院の前身)の設立に専念し、開校とともに初代校長となりました。

学校外の活動にも骨身を惜しまず活動し、福岡師範学校の生徒達と聖書を学び、英語の勉強に来た人達を指導、その傍らで茶道を学び、地元の人との交わりを持つことにも努めました。
学校の内外にわたって教育に伝道に、まじめで真剣に努力する校長として信を一身に集めました。

福岡女学院130年のあゆみ

1885(明治18)年 アメリカ人宣教師ジェニー・ギールにより「英和女学校」として創立(因幡町)
米国ペンシルバニア州ベルウッドで1846年誕生。師範学校で学び、使命を感じて婦人外国伝道会に申し出て、日本への宣教師として1879(明治12)年ゲイリック号で来日した。
1888(明治21)年
天神町に福岡唯一の西洋館である新校舎を建築
福岡唯一の西洋館である新校舎

西洋建築のものめずらしさに
弁当持って見学に来る人もいたという

1916(大正 5)年 創立記念日にメイクィーン、メイポールダンスを始める
1919(大正 8)年
薬院に移転。「福岡女学校」と改称
平尾に移転「福岡女学校」と改称

正門前の道は現在の
福岡市中央区薬院浄水通りである。

1921(大正10)年
セーラー服を制服に制定
1921(大正10)年、リー校長愛用の服をもとにしたセーラー服を作ることが決定。
1922(大正11)年4月から、上級生を除き、ほとんどの生徒が着用するようになった。これが全国的に知れわたり、多くの公私立女学校が本校の制服をモデルにするようになった。制服に合わせてベレー風の帽子も制定され、スマートな福女スタイルが市民の目を引いた。
リー校長愛用の服をもとにセーラー服を作成

制定時のセーラー服。
現在も基本デザインは変わっていない。

1937(昭和12)年
へレン・ケラー女史来校
三重苦の聖者として有名なアメリカのヘレン・ケラー女史が5月に来校。非常時下ではあったが女史の来訪は一般にも歓迎され、愛の使節として深い感銘を与えた。
校章を制定
ヘレン・ケラー女史が5月に来校

その後、
1948(昭和23)年にも再び来校した。

1945(昭和20)年
戦火で校舎焼失
本校は校舎の大部分を軍隊に貸与していたが、6月19日の福岡大空襲で被災。宣教師館、寄宿舎一部、体育館、家政館、旧雨天体操場を残す全部の校舎を失った。
戦火で校舎焼失

福岡大空襲後、
焼失した校舎の跡地での青空礼拝

1947(昭和22)年 新制「福岡女学院中学校]となる
1948(昭和23)年 新制「福岡女学院高等学校」となる
1949(昭和24)年
福岡女学院教会創立
福岡女学院教会創立
1950(昭和25)年 クリスマスに全校ハレルヤコーラス始まる
1955(昭和30)年
曰佐キャンパスに「福岡女学院幼稚園」開園
日佐キャンパスに「福岡女学院幼稚園」開園
1960(昭和35)年
曰佐キャンパスに新校舎落成、移転
日佐キャンパスに新校舎落成、移転
1963(昭和38)年 高等学校に音楽科開設
1964(昭和39)年 「福岡女学院短期大学」開学
1985(昭和60)年 創立100周年を迎える
1989(平成元)年
百周年記念館完成
百周年記念館完成
1990(平成 2)年 小郡市に「福岡女学院大学」開学(人文学部)
1999(平成11)年 大学人間関係学部を開設
2002(平成14)年 曰佐キャンパスに全学統合
福岡女学院天神サテライト開校
2003(平成15)年 曰佐キャンパスに「福岡女学院大学大学院」開設(人文科学研究科)
2005(平成17)年 創立120周年を迎える
2007(平成19)年 柿薗記念パイプオルガンを設置
2008(平成20)年 古賀市に福岡女学院看護大学を開学
2010(平成22)年 創立125周年
2014(平成26)年 短期大学開学50周年
大学国際キャリア学部を開設
2015(平成27)年 学院創立130周年
幼稚園60周年
大学25周年

主な伝統行事

メイクイーン

メイクイーン、イメージ画像

5月18日の創立記念日の行事として名物になっている5月の女王、メイクイーン祭は創立31周年の1916年から始まり、リー校長就任式最初の記念日の行事でした。初期のクイーンは最上級生、品行方正・学術優秀の者、和服黒紋付高座のふとんに座りました。1922年からプロミナート(隊列行進)が加えられ、1928年からクイーンの服装も純白のドレスに変わり、クイーンは2年生から選ぶようになりました。戦後新制になってからクイーン行事は中学生、プロミナートは高校生になりました。曰佐に移転し場所の都合などでプロミナートはなくなり、行事も中学生だけとなったがメイクイーン行事は華やかに続いています。 現在のメイクイーンは中学2年生全員の中から生徒の間で選出され、クイーン以外の中学2年生全員がメイポールダンスに参加します。

メイポールダンス

メイポールダンス、イメージ画像

高さ3.5mのポールに紅白それぞれ12本ずつの布を交互に踊りながら編んでいくメイポールダンスは当時、欧米の春の訪れを祝う踊りで伝統行事の一つでした。この日からギンガムの夏服になるので気分も一新します。この行事は沈滞していた暗い一時期の流れを、初夏の太陽の光のような明るい行事で一掃するため、リー校長の発意で始まりました。現在もこの福岡女学院の創立記念行事メイクイーン・メイポールダンスは、一足早い夏服への衣替えと共に、博多の街に初夏の訪れを告げる風物詩の一つとして市民に親しまれています。

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